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 昨日、古い資料を探していたら、懐かしくも『巨人の星』が出て来て思わず読みふけっていた。そう、あの星飛雄馬が主人公の熱血野球漫画である。探し物からすっかり脱線してしまったが意外な発見をした。この物語がまさに「守破離」の教えに繋がっているのだ。

 「守破離」(しゅはり)。世阿弥の『風姿花伝』にある言葉で、物事を学びはじめてから、独り立ちしていくまでの三つの段階を示している。最初は教えを守り(守)、次に自分なりの発展を試み(破)、最後には型を離れて独自の世界を創り出していく(離)。

 物語の中で、飛雄馬はまず魔球・大リーグボール1号を編み出す。この魔球は、暴投に見せかけ実は打者の構えているバットをピンポイントで狙いボールを当てて凡打にしてしまうもの。厳しい父から叩き込まれた豪速球と針の穴をも通すコントロールがあればこその魔球である。次の大リーグボール2号は消える魔球。打者の手元でボールがこつ然と消え、ホームプレート上でまた姿を現してキャッチャーミットにおさまる。打者は皆きりきり舞いだったが、やがてこれは父が現役時代に編み出した送球法を応用したものだと見破られ、ついにはライバルに打ち込まれてしまう。そして最後の大リーグボール3号。これは1号、2号とは全く違う。投法はそれまでのオーバースローからうってかわってアンダースロー、球はハエがとまりそうな超スローボールでコントロールは最悪。だが誰ひとり打つことが出来ない。ここに至って飛雄馬は父から完全に離れ、独り立ちしてついに『巨人の星』をつかむことになる。それにしてもこの漫画、さすがに当時大ヒットしただけあって、深い。

 「型にはまりたくない」と言っても、まずは型をしっかり身につけなくては自分らしさも出せない。だが、いつまでも型に安住していたら本当の一流にはなれない。

 棋士の谷川浩司氏の話を思い出す。氏はある雑誌のインタビューのなかで、何度もタイトルを穫る棋士と、どうしても届かない棋士との差は何かという質問にこう答えている。「150人ほどいる棋士のなかで、10〜20番くらいに位置する人に共通することがあるんですね。それは、定石からはずれられないということ。何が本筋かわからない人はそもそもプロにはなれない。でも、本筋の手しか指せない人はトップにはなれないんです。」

中嶋宏行 URL http://www.sho-jp.com/


 今月、52回目の誕生日がやってくる。歳を取ることは仕方のないことだ。思うに、作風や技法は歳を取れば取ったなりに変わって行くものなのだろう。60代には60代だからこそ出来る何かがあるのだと信じたい。そして60歳の扉が開いた時、その何かに出会うためにも、50代に出来ることをあいまいにしておきたくない。いまだからこそ出来ることを、それが出来なくなる前にしっかりといい仕事として残しておきたい。

 いま、体動というものにこだわっている。床に敷いた画面の中に自ら入り込み、体動の軌跡を紙の上に残す。箒で地面を掃くような格好ではだめだ。心身のはずみが線に伝わらない。重心を深く落とし、からだを大きくつかうことで、過度の作為や小手先の技術から自由になり、無意識の力を呼び込むことができる。頭で考えた青写真を紙の上に再現するやり方では、どんなに出来が良くても100点どまり。だが無意識が作用すると、時に150点が生まれる。



Photo: Fred Nauczyciel

中嶋宏行 URL http://www.sho-jp.com/


 4月からイタリアにアトリエをもつことに決めた。今のままでも作家としてどうにか生活していくことは出来る。だがこのまま日本にいると、日常の雑事に追われて漠然と歳を取ってしまいそうな気がした。もちろん、どこにいようと人は確実に歳を重ねていく。だが、異質な環境に身を置き、孤立した生活の中で自分を見つめた時、いったいどんな作品ができるものなのか試してみたかった。そうすることで、自分がどこまで通用するのか試してみたかった。

 2000年あたりから欧米での活動にこだわりはじめた。書が海外に紹介される機会は少なくない。日本の伝統文化のひとつとして、国際交流の道具立てに顔を出すことも多い。だがその一方で、書が現代のアートシーンでひろく認知され市場性をもつまでには至っていない。そこを打開するには、これまでのように年に数回出掛けて行く程度ではやはり限界がある。

 わざわざ時間と金をつかい、リスクをかけてまでなぜという考え方もある。だが、異なる言語をつかい、価値観の違いをこえて互いにコミュニケートできた時の喜びは大きい。しかも自分の作品がそれに介在したとなれば格別なのだ。

中嶋宏行 URL http://www.sho-jp.com/


 ブログをはじめるとは思わなかった。だが、ある決心をきっかけにして、自分が日々何を感じ何を考えていたか、その轍(わだち)を書きとめておきたくなった。もちろん日記でもいいわけだが、それをあえて公開することで日々の自分を律することが出来るような気がした。人に見られていると思えば、いい加減なことができなくなる。このブログは、何かで行き詰まった時、自分に甘えないための目付役のようなものになるのかもしれない。

中嶋宏行 URL http://www.sho-jp.com/


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